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2006/03/30

映画「ザ・コーポレーション」

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「企業の欺瞞」という大きなテーマを扱い、問題提起してくれる秀逸な映画である。
私は買い物好きで飲んだくれの、広告担当サラリーマン。企業ブランドにも多少関わったし、CSRで環境の仕事もしている。オフには畑仕事に汗を流し釣りやキャンプのアウトドアも好き。だから自然はいつも大切にしたいと思っている。
2時間25分の上映時間、自分で自分の矛盾を責め続けるような不快感を味わった。
マイケルムーアは人を糾弾するにもユーモアと思いやりがあるので好きだが、この映画はチョット真面目すぎて洒落になっていない。企業という存在を血祭りにあげてカタルシスを得ようと思っているのだろうが、「血祭りはちょっと待ってくれ」と言いたい。
私は勤務先の仲間とつい「会社は俺たちの事を考えてくれない」「会社は何もわかっていない」などと、あたかも人格のように口走ってしまう時、違和感を感じる事がある。会社って誰の事?社長の事?役員達の事?そんな時、私は「会社」=「村」のような共同体を思い起こす事にしている。そもそも、小さなワンマン会社でもない限り「法人」は言葉だけで人格なんて無いのである。例えば村にゴミが落ちている。気がついた人が拾えばいいし、自分の手に余れば出来る人に頼むしかないのだ。それでもできない時は村のメンバーで根気良く話し合って改善策を出すしかない。

映画のシーンで一番印象に残ったのは、若者のデモ隊がシェルの会長自宅に押しかけるところ。奥さんがお茶を出しながら事態を収め、シェル会長が「自分は現実に貢献できるが彼らは自分が何も出来ない事に苛立っている」と話す。しかし、これがキッカケでシェルの信頼回復に動いているとも。

では、こんな事態になってしまうのは何故か?ものの本に「共産主義の崩壊は資本主義の勝利ではなく、欲望主義の勝利」とあるが、この事態も全ての人々の欲望に起因しているのだろう。「少しでも良い暮らしをして幸せになりたい」に始まるが、全員となると既に地球は人類を抱え切れないし、格差も広まる。「弱肉強食」の部分には「人間の理性」という非常にあやふやな部分に頼るしかないのは心もとないが・・・

強引にまとめると「社会を良くしていくには非暴力な問題提起と全ての人の当事者意識、各自が関れる事への貢献」といったところか?でも、生存競争が抜けているような・・・・

例えばこの映画を多くの人に観てもらうにはTVがいいのだろうが、当の企業がスポンサーの民放には難しいか?”あの”おばさんのように殴りこみに来た連中にお茶を振舞うくらいの度量が責任者に欲しいところだが・・・
(公共性を盾に既得権益を持ち一方的な正義の垂れ流しや自己の都合で商売をする民放TVも問題ではないのだろうか?と最後に”問題提起”しておこう。)

公式ページ http://www.uplink.co.jp/corporation/

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